ダダだ!!!

友人らとダダイスムの映像作品を見る。(ダリ以来)

 

ただ四角が動いているだけで、最初はへえーふーんっていうかんじで観始めるのだが、次第に頭の底の方からおかしくなってきて、心臓の裏側を微妙な力加減でくすぐられているような感覚になってきて、なにかが振り切れてからが超おもしろい。いつもなら絶対笑わないようなところが笑えたり、起伏が両極端になったりする。不思議に思っているのとは違う脳の部分でおもしろがっている。

 

ダダは第一次世界大戦への反発や虚無、理性批判からスタートした一派で、既成概念の破壊やアンチを根源に持っていた。作り手はぶっ壊したいと思っていたのかもしれないが、作品たちを見ると、ただそこでは終わっていなくて、わたしたちの既成概念がぶっ壊れるまで、さらにいえば無意識にして既成概念をのっとるところまでいって完結のような気がしている。

多分これから、四角みたらそれが重なったり大きくなったり小さくなったり動いたりすることしか考えられなくなって、「ハンス・リヒターの作品もかく也」とか言う。

 

音楽も面白かった。美術に音楽関わるようになったのってやはり映像からの流れが大きいと思う。(歴史を勉強しなければならない。)美術作品が動くっていうのはとてもショッキングな出来事だと思うし、そういう意味での音楽におけるパラダイムシフトってないんですかね。

サティの音楽はやっぱりおもしろかったな、独特の間というか、パルスを感じる。こういうところで名高い音楽家が出てくると嬉しい。(名高い音楽家って自然に言ったけど何だ?あと、なんで嬉しい?他人のことなのに?)もうひとつおもしろかったジョージ・アンタイルは、音楽もサイレンをつかったりミニマルだったり増音程使いまくり緩急緩急序破急の感じでぶっとんでたけど、調べてみたら自叙伝『音楽の悪童』を書いているらしく、まず人物としておもしろすぎた。

 

これがダダか!未来派か!シュルレアリスムか!!!

もっともっともっと見たい!!!

 

お風呂ご飯布団

好きなものの話でもしよう。

 

タイトルにもあるとおりである。お風呂、ご飯、布団。これさえあれば生きていける。否、これらがあるから生きている、と言ってもいいだろう。

小説があればなおのこと良し、音楽があれば至福。

 

 

自分がこれらを享受するのはもちろんであるが、それらの気配というのもまた、いいものだ。

帰宅道中、私は住宅街をおよそ15分歩く。家一軒一軒に明かりが灯っている。その裏には実に様々な表情の方々がおられるのだ。それを考えると大層におもしろい。

 

夜になりたての時刻であると、夕ごはんの豊かな香りをあじわうことができる。個人的好みを申し上げるならば、砂糖醤油みりん酒、このパーフェクトカルテットの香りが通りに流れているのがをかし、である。

間もなくそれぞれの家で夕食がはじまるのだと思う、決してのぞくことのできない世界を脳内で描き(それは幸せな家族であったり、あるいは相方の帰宅を待つ人であったり、はたまたひとりで何かを思いながら耐える夕食であったりするのだろう)ひとり楽しむ。そして、これから自分がゆくあの家を思い浮かべる、またそれもいい気持ちであったり後ろ向きにずるずると帰ったりするのだが、ともかく帰る家があるのだ。

 

さて夜も更けた頃になると、お風呂の気配が自宅前の通りに流れる。それは、とろけそうな湿度と、湯そのものの香り、ほんのわずかに石鹸の香りも交じる。

安心感と、思わず口角の上がってしまうような幸福感、そして深い夜の闇にひとり取り残されたような若干の切なさもある。道でかぐお風呂の匂いほどいいものはない。

 

布団については言うまでもなく、また寝転がっているという姿勢についても相まって寝ているというのはとてもいい。普段の睡眠ももちろん悪くはない。休日、有限な時間を、あえて寝ることに費やす、やりすぎは自己嫌悪にさいなまれることになるが、この幸せを徐々に理解しつつある。できるだけ長く寝ていたい。たまにはいいのだ、たまには。たまには。

 

1日の終りを楽しみに、重力に完全に身を任せ、しばしの間むこう側の世界へ行く、それを頼りにしながらもしくは目標にしながら、今日も超絶破天荒不条理ワンダーランドを生きていこうと思うのである。

 

西洋の音楽

勉強の専門上、西洋音楽でない音楽に触れる機会が格段に増えた。一年ちょっと前の私はガムランもサイン・ワインもマカラも知らなかったし、お囃子半端ないすごいとか、ジャンベぱねえとか、やっぱり雅楽であるとかそういうのは遠い人のする話だった。(ジャニーズの話しかしていなかった。)

大学に入って、文字通り世界は音楽にあふれていて、井の中の蛙は大海へと漕ぎ出したのだった。

 

ピアノはわたしの劣等感の表象であった。

ピアノを弾くと、大抵の人がすごいねって言ってくれた。小さい頃はそれが嬉しかった。でも練習は嫌いだった。できないから、なんにもわからないから。何が正しいのかわからなかったし、どうすればできるようになるのかもわからなかったし、自分がやっていることの意味もわからなかった。だめだっていわれているわけもわからなければ、いいねって言われるわけもわからなかった。わからないでいることもわからなかった、わかってなかったというべきかもしれない。何回かコンクールに出て、そこそこの成績を取った。そこそこでしかない自分を、スーパーな自分にする努力を、わたしは放棄した。

幸いそのころ勉強ができたから、多分自分はそれをするべきなんだと思った。自分にはピアノしかない、なんてこれっぽっちも思ったことなかった。

 

長くなりそうだから割愛しようと思う。ざっと言えば、結局音楽から離れようと思ったのに中学で吹奏楽、高校で合唱をやり、宇宙開発するんだって言いながら、いつの間にか音楽の道に戻ってきていた。

 

今でもピアノを弾くけど、明らかに過去の貯金を切り崩している自覚がある。全然できてないんだろうな。求められるものに答えられているのだろうか。そもそも求められるからやるというところに不自然さを感じる。多分こんなんでは神様は振り向いてくれない。あれ、自分にもまだ向上心があったのか。

いいねって今も言ってくれる人がいる。違う、ぜんぜん違う。恥ずかしい、そんなことを言わないでほしい。わたしは何もしていない。あなたに何も与えてないし、加えてあなたに嘘をついている。あなたがくれた言葉を、受け取る権利を持っていない。えへへありがとうって言いながら、あとでそんな自分を思い出しては死にたくなる。

 

ちなみに、こんなことを書きたいんじゃなかった。何かというと、西洋の音楽には楽譜があり、それが戸惑いであり謎の塊だったのだが、今日練習していて、練習は謎解きみたいで作曲家が見ていて話しかけてくれているみたいで、その謎解きは意外とわくわくして楽しかったと気づいた、あと音楽って人と人なんだと思った、と書きたかったのだ。驚くほどわくわくしない文章を生産してしまった。

 

韓国伝統音楽にハマっていると言いながら、今日もなんやかんやでピアノを弾いている。

 

漱石より

夏目漱石を読んだ。夢十夜である。

恥ずかしながら漱石は読破したことがない。坊っちゃん草枕、三四郎、名前だけはたくさん知っている。

 

第二夜、「凄いものが」という表現がある。そこへついたとき、今までになかった感覚(完全に体の反応として)がきた。

普段の私は簡単にすごいという。同じ言葉、同じ現象を指す。指すはずだ。しかし漱石のそれは違った。本当に「凄いもの」だった。言葉が意味を超えていく。世界をあらわすのが言葉だとしたら、そのとき言葉は確実に世界を広げる側にいた。言葉が、何かを支配していく、想像力で補われるような何かではない、必然的にある世界が、言葉を中心に立ち上がったのがはっきりとわかった。

 

それを先輩に話す。わたしはいつまでもそれを言葉に捉えることができない。先輩はちょっと考えて、5kgのお米を持ち上げるくらいの力量で、「言葉は普段はふわふわした世界を切り分けて認識するためのものでしょ、でもその言葉は逆にふわふわした部分にたどりついたというか、広がったんだよね」と言った。圧巻、感服、敗北宣言。自分の感覚じゃないのにね!感覚の共有かな。

 

とにかく漱石は今わたしのなかでは言葉の魔神で、最強の使い手である。わたしは新米使い手として、まだまだ悩んでいく所存であり、言葉と自分の間の何かを見出したいと強く強く願う。