文房具は記憶のかけら

わたしは大の文房具好きで、それがなぜかなあと考えたときに思い立った一つの結論が、文房具は思い出すための道具っていうのがある。

 

どういうことかというと、それぞれの文房具のむこう側には人がいるっていうやつだ。思い出のマーニーで使われていた鉛筆、サマーウォーズで使われていたボールペン、好きだった先生が使っていた万年筆、尊敬する人が使っていたシャーペン、友達が使ってたペンや、本でおすすめされていたノートなど。

(羅列してみると案外気持ち悪くてショックである。)

 

いろいろなデザインの文房具がある。デザインは、使いやすくするための工夫でもあり、アイデンティティのあらわれでもあり、わたしはそれらをながめて、一緒にいた人のことを思い出している。

 

 

余談だがゼブラのタプリクリップというシャーペンがあって、今シャーペンで一番使っているのがそれなのだが、これは本当に強い。東大、京大、東工大、いろいろな大学のプロモーションに使われている。コンビニでよく売っている。100円、安い。部屋をあさっていたら、全色見つかった。さすがに笑った。お店やさんでもしようかなあ。

それでも奥底にあるもの


酔った頭で考えたことだけど


結局わたしは、この自分で1人でいる時間というのに、生涯耐えられないんだと思う。

ひとりでいたがるくせに、人といる時間の対価としてのひとりでいる時間だけが好きで、きっとそうなんだと思い、ひとりでいながら、早く誰か、とも思っている。人に、わたしは生かされている。


臆病者だ、わたしは。


絶対に、いつも必要とされる人でありたいというのが、わたしの切実な願いなのかもしれない。

そのためなら、多分何だって投げ捨てられる。


わたしは、必要を掴みに行くのだ。

愛を、正当な手段によって、また確実な保証として、勝ち取りに行くのだ。

ワンダー

今日、2日間のお芝居の本番が終わった。自分は演助と演奏だったわけだけど、でもその1時間弱に費やした時間は、考えた時間は本当に大事で、泣きたいくらい大切で、ああ、もう同じ時間を繰り返すことはないんだなって電車の中で思っています。終わった瞬間わたしは孤独だ。演出の人が大好きで、俳優が大好きで、スタッフの人たちが本当に大好きだった。


お芝居の時間は本当に輝いていて、一生この時間が続けばいいのにな、自分の人生がずっとこれだけのためにあればいいなって思うよ。

でも、この終わった後の孤独を、どうやりきればいいんだろうとも同時に思う。飲んでひとまず涙目になりながらこの時間をやりきって、そのあと。無理矢理にでも前に進めって言ってくれるのは誰だ。助けられなくても次に進みたい。

自分で、前に進みたいと思うよ。

自分で前に進むために、あなたにそこにいてほしい。


わたしはまだ、迷っているのかもしれない。

自分の孤独の、泣きたいこの気持ちの、ただそれだけのために。


二足のわらじ

今日は雨だったから、お墓に行って将軍様にお参りしたよ。

 

本当に二足のわらじを履きに行くつもりで、ひとに宣言しまくっている。なぜ理想の環境に入れてもらってそれでもそんなことを考えているんだろうということをずっと引っかかっていて、これは逃げなのだろうかと思ったり、実際逃げのような気がして落ち込んだりした。まわりにいるきらきらした人たちを見て、ますます滅入った。

 

 この世にはわからないものが3つあると思う。人間、自然、芸術。

 

読んだ本に、こうあった。この世は今私たちの作ったものが多すぎて、わかることになれてしまっているせいで、わからないことに慣れていなくて混乱してしまう。そうだと思った。わからないからわかりたくて、でもわからないから混乱して、もがいて、しかし報われない世界だった。

でも、わかることもある。全てはわからないけど、わかることももちろんある。たくさん知りたい。たくさん見たい。そのあとわかりたいと思うもがき方はひととおりではない。世界は謎であふれている!

 

芸術を学んで、わからないのだが、わかりたいと思って動くことがどんなにおもしろいかと思った。そしてさらにそれを超えて、わかりたいとおもう気持ちを全く原動力にしなくても没頭できるおもしろさがあることを見つけた。

 

わたしはもっといろいろななぞなぞをまず見たいと思ったのだった。そしてときかけのなぞなぞをたくさんかかえて、ラスボスを探しに行きたいと思ったのだった
 

とにかくやってみることにする。

さよなら

久しぶりにコンサートに行ったら、全然聴けなくなっていた。驚いた。耳って開きっぱなしだけど、本当に、ききたいと思わないときこえないんだなとか思っていて、会場で座っているのが苦痛で仕方なくて、帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたいってすごかった。お客さんが最後アンコールをせがんで拍手し続けるのを、やめてやれよって思いながら見ていた。わたしもおかしいけど、やっぱりちょっと狂ってる、と思う。

あんなに好きなラヴェルだったのに、なんでだ。みんな何をきいてるんだろうってそればかり考えていた。もちろんいい曲だったし、好きな音の並びだったし、ふさわしい美しさの音だったと思うけど。


いろんな人とさよならしたいと無性に思っている。自分とも。自分とは別れられないなあ。バンプとかミスチルとかをききまくって、歌詞に無駄に共感したり、悪態ついたり、久しぶりに泣いたりした。


海に帰りたい