ルンルンきぶん

言葉の練習帳

西洋の音楽

勉強の専門上、西洋音楽でない音楽に触れる機会が格段に増えた。一年ちょっと前の私はガムランもサイン・ワインもマカラも知らなかったし、お囃子半端ないすごいとか、ジャンベぱねえとか、やっぱり雅楽であるとかそういうのは遠い人のする話だった。(ジャニーズの話しかしていなかった。)

大学に入って、文字通り世界は音楽にあふれていて、井の中の蛙は大海へと漕ぎ出したのだった。

 

ピアノはわたしの劣等感の表象であった。

ピアノを弾くと、大抵の人がすごいねって言ってくれた。小さい頃はそれが嬉しかった。でも練習は嫌いだった。できないから、なんにもわからないから。何が正しいのかわからなかったし、どうすればできるようになるのかもわからなかったし、自分がやっていることの意味もわからなかった。だめだっていわれているわけもわからなければ、いいねって言われるわけもわからなかった。わからないでいることもわからなかった、わかってなかったというべきかもしれない。何回かコンクールに出て、そこそこの成績を取った。そこそこでしかない自分を、スーパーな自分にする努力を、わたしは放棄した。

幸いそのころ勉強ができたから、多分自分はそれをするべきなんだと思った。自分にはピアノしかない、なんてこれっぽっちも思ったことなかった。

 

長くなりそうだから割愛しようと思う。ざっと言えば、結局音楽から離れようと思ったのに中学で吹奏楽、高校で合唱をやり、宇宙開発するんだって言いながら、いつの間にか音楽の道に戻ってきていた。

 

今でもピアノを弾くけど、明らかに過去の貯金を切り崩している自覚がある。全然できてないんだろうな。求められるものに答えられているのだろうか。そもそも求められるからやるというところに不自然さを感じる。多分こんなんでは神様は振り向いてくれない。あれ、自分にもまだ向上心があったのか。

いいねって今も言ってくれる人がいる。違う、ぜんぜん違う。恥ずかしい、そんなことを言わないでほしい。わたしは何もしていない。あなたに何も与えてないし、加えてあなたに嘘をついている。あなたがくれた言葉を、受け取る権利を持っていない。えへへありがとうって言いながら、あとでそんな自分を思い出しては死にたくなる。

 

ちなみに、こんなことを書きたいんじゃなかった。何かというと、西洋の音楽には楽譜があり、それが戸惑いであり謎の塊だったのだが、今日練習していて、練習は謎解きみたいで作曲家が見ていて話しかけてくれているみたいで、その謎解きは意外とわくわくして楽しかったと気づいた、あと音楽って人と人なんだと思った、と書きたかったのだ。驚くほどわくわくしない文章を生産してしまった。

 

韓国伝統音楽にハマっていると言いながら、今日もなんやかんやでピアノを弾いている。