ルンルンきぶん

言葉の練習帳

神様

音楽には信仰というのがひとつ要素としてあるとは思うが(これは冷静だから考えられることだと思う)

 

最近結構神様(キリスト教)について考えている。

だれなのか、なぜわたしを愛してくださるのか、そのことを信じるとはどういうことなのか。聖書の言葉を反芻して少しずつ吸収していくが、今のところくすぶったままだ。

最近の自分は気持ちと言葉が気持ち悪いほど先行していて、突如として頭がうわああああとなることがある。

自分のうちに不変があるのはとても大きなことであると思う。

 

(全くもって何を言いたいのかわからん。)

 

今日お芝居を見に行きました。園の『ねむけ』です。なんとなく不条理かな、と思った。人格が分裂してて、また映像と音声と言語は少しずつ切り離されているような感があった。それらがどこまで絡み合ってるのかはわからない。結局のところ何も解決していないしあの子は死んで、自分は生き残って、自分はあの子を殺した。

舞台の上で起こっていることはすべて現象であって、つまりはひもの震えのパターンの集合体にすぎない。故になにもそこに意味なんてないと思いたいのだが、演劇には言葉があって、目の前では動いている人間がいるし耳オールウェイズ開放状態だから意味の取れる言語を私の脳は理解してしまい、なにかしらを受け取ろうとしていた。

演劇について、それ自体としてストーリーが劇的であって楽しめるものは、一ジャンルでしかなく、そして今回のは多分そういうのではなく一貫した世界観の中ですべてが完結している感がしていた。自分の中になにかしらの位置づけをしていくが、どうにかしてむこうがわの人が考えている真髄(みたいなもの)にたどり着きたい欲がある。

(どうもわたしはまだ「個人の解釈に委ねる部分もある」とか「観客の想像力」とか「十人十色の見方」とかに順応していないようだ。)

 

全体の演出とか科白と役者の行動の関係性とかから最適解を導き出すことはできるけど、わたしはどちらかといえば、その証明過程を知りたい

 

(知りたい知りたいと今は思うけれど、実際場所にいるときは、浴びてのまれてとにかく感覚という感覚をすべてひきつけられていた。おもしろかったな。おわりです)