一本道の帰り道

 

駅から降りて家につくまでの15分間の帰り道は、頭をからっぽにして歩いていくそれだけのための時間だ。

夜の一歩手前の空は、きのうきていたシャツの色に似ていた。

いくつか星が見える、それらの星は、ほんとうに物理的には、手が届くんだよなあなどと考えながら歩く。わたしと星との間にさえぎるものがなにもないのでひかっているのがここからでもみえるのだから、心からのぞめばいいのかもしれないなどと考えている。

一本向こうのマンションの玄関から、ただいまぁという声が聞こえて、お母さんの帰宅を知る。まどのひとつひとつの中に、世界があることを想像する。

近頃かぜがよく吹いたので盛況だった軒先の風鈴は、今日はしずかにしている日なのだとか。

自転車に乗った高校生とすれ違う。すれ違うとき、おたがいすこしずつ相手を見て、すぐにみなかったふりをしてしまう。

ぼうっと歩いていると、ねこにつまづきそうになっていたのに、気づかなかった。とっさにごめんごめんと謝る。ねこはめんどうなものを見るような目つきで向かいのマンホールの上に寝そべった。金属だから多分あったまっている、(おそらく彼の)ベットなんだろう。

家につくと、母がごはんを作って待っている。背中が小さくなっているのをふとみつけて心がきしむけど、それも今はみないふり。妹が予備校を休み続けているらしい。

 

思い通りにならないことばかりだし、うまくいかないことばかりだし、いつも終わったことを後悔するばかりなのはここ3年間かわっていないけど、今はなんとか、これで、少しづつやっていこうと思っている。

 

 

興味がうつりうつっていく自分を、少しは受け入れられるようになったかもしれない。

 

夏にしては寒すぎるが春にしてはあつすぎる、心地のいい時間だと思う。せまい世のなかで、魚のようにおよぐ。窮屈だなんて、そんな傲慢なこと、ね。

 

明日はなんだかな、いい日だといいなあ。

人間にしかない(かもしれない)もの

 

飛び降りて死ねなくて、正常な自分が悲しかったので、記憶喪失になったふりをして泣くっていう夢をみました。

少ない友達が見舞いに来てくれて、名前を思い出そうとするけど出てこない、という演技を一生懸命する。現実の自分は泣きながら目が覚めた。

 

同情してほしいんだろうか。誰に甘えているんだろうか。居心地が悪い。

 

 

nocturne

 

言葉への嫌悪が募りはじめて、とうとう無視できないほどになっている。人がちょっと声をかけてくれたところに久し振りに心の動くところがあって、本当にそれは忘れていた感覚で、ちょっと自分が嫌になった。自分の中が分裂していく感覚を、それからずっと自覚している。

 

先行きがみえないという漠然とした虚無感は大きくなっていくばかりなのに、それに対応するだけの気力も体力もなくなっていっているようで、嫌になった時の逃げ様とかは完全に子どもみたいで、わたし大人なのか子どもなのかどっちなんですかね。(ずっと子どもでいたいよ、いい子どもでいたい)

 

言葉でなんかやってるうちはずっと堂々巡りだって最近のわたしの思考はそうで、言葉が信用できない。言葉は人間のものだから、人間中心から脱出できない。(それは個人的に不快なこと) そんなに頭でっかちになった覚えなかったのに、いつのまにか思ってることないこと頭が先走って、思考だけが車輪のようにまわっていくようなんだ。言葉に削がれていってる、わたしの中で言葉側の思考が暴走しているのか、文字が速い。

 

言葉から逃げたいという思いを言葉にする矛盾、矛盾。人に言葉で求める自分。矛盾。

どうしたらいいんだろう。