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考えているとどんどんメタ的発想になってしまってたどり着かない。
人生にコンテクストはいらない。
最果タヒさんの詩を読んで泣いてしまう系の人間より
ニーチェが「神は死んだ」って言ったけど、人間はそういうふうにしていろいろなものを殺して、恋も愛も運命も、いつかこの世界からいなくなるよ、そういう世界がはやくくればいい。あなたは私を、罪人にした。
これよくある呪いね、あなたがわたしを思って泣いてくれればいいのにな。そんなあなたをわたしはくずっていって笑い続けるよ。
この世界どこにいるかわかんないようなあなたなら、いっそいなければよかったと思う。
たとえば誰かがこの気持を「まだすきなんだね」とかいう言葉で片付けたとしたら、わたしは一番確実な方法で自分を殺してしまおう。
もうおたがい20だね。おめでとう。
演劇のキーワードになりそうなことでもある
きょうは、自分と他者との境目をはっきりと感じた日。
この世界は、断絶でできている。いつから自分と他者との線をおろそかにするようになっていたんですか。そんなことで何を傷ついているの、当たり前でしょ。
あー自分守ってるないやだなって思うけど、人生そればっかりです。進歩してるようにみえるのは、周りが動いてくれるから?多分そう。
いろんな境目を意識していこう。不必要な境目はできるだけ生み出さずに、境目のあっちとこっちを行き来していきたい。
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文学、音楽、演劇
人間、宇宙
わたしが生きられるのは、幻想の世界の中だけだ。何にだってなれる。どこへだって行ける。
さあ、歩け歩け
あの光まで、その先へ
感想
音楽は挑戦だ!歴史は責任だ!
N響のオールラヴェルにいってきました。ラヴェルのことは愛していますから、とっても楽しみにしていました。
ラヴェルのオーケストラ曲は、生ではそんなにたくさんきいたことがなかったのですが、分かったのは大層難しいんだということです。
でもそれ以上に、ラヴェルは管弦楽の魔法使いで、おとぎ話の神様でした。オケがオケの顔に様々な仮面をかぶって踊ってくれるのです。全然違うものになるし、群れのように一体になったり離れたりする、これはすごいと思った。そして何より、音楽は高貴な方々の楽しみでも余興でも、また一部の人のためのものでもなく、これは過去から届けられたものを、現代に呼び起こすこと、挑むことだということです。奏者も、聴き手も、研究者も書き手も、みんな美しい挑戦をしている。
そして音楽史を書くことは、現代に対して責任を負わせること、喜んで負ったということの証明でした。(と思った)
今日のコンサートはとてもよかったです。
追記
どう歴史を書くのか以前に、なぜ書くのか、あるいは本当に書かなければいけないのか