nocturne
言葉への嫌悪が募りはじめて、とうとう無視できないほどになっている。人がちょっと声をかけてくれたところに久し振りに心の動くところがあって、本当にそれは忘れていた感覚で、ちょっと自分が嫌になった。自分の中が分裂していく感覚を、それからずっと自覚している。
先行きがみえないという漠然とした虚無感は大きくなっていくばかりなのに、それに対応するだけの気力も体力もなくなっていっているようで、嫌になった時の逃げ様とかは完全に子どもみたいで、わたし大人なのか子どもなのかどっちなんですかね。(ずっと子どもでいたいよ、いい子どもでいたい)
言葉でなんかやってるうちはずっと堂々巡りだって最近のわたしの思考はそうで、言葉が信用できない。言葉は人間のものだから、人間中心から脱出できない。(それは個人的に不快なこと) そんなに頭でっかちになった覚えなかったのに、いつのまにか思ってることないこと頭が先走って、思考だけが車輪のようにまわっていくようなんだ。言葉に削がれていってる、わたしの中で言葉側の思考が暴走しているのか、文字が速い。
言葉から逃げたいという思いを言葉にする矛盾、矛盾。人に言葉で求める自分。矛盾。
どうしたらいいんだろう。
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自分に、遠くにいくことなんかできるんだろうか。
ここにとどまっていてはいけないという思いだけが、たまに強く襲ってくる。
最近ピントが合わせづらくなっていることを、気づいていたけどまるで何でもない風にしていて、身体だけがどんどん正直になっていって、理性だけは一人前になっていって、そして一番子どもでいたかった部分から順番におとなになっていく。
叫んだり泣いたり、思い切り笑ったり、そういうの最近してないな。自分の価値なんてカスほどだということを冷静に受け止めすぎているな。どうして絶望しなかったんだ?いくらでも叫べてどこまでも行けて、自由っていう概念すら足枷で、暴力的な炎みたいな自分。
だれも期待していないということを認めたくなかった。
とうとうそれを認めるから、もうわたしも誰にも期待しない。
人生は退屈だ、残酷だ、それから、わたしのものだ。
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考えているとどんどんメタ的発想になってしまってたどり着かない。
人生にコンテクストはいらない。
最果タヒさんの詩を読んで泣いてしまう系の人間より
ニーチェが「神は死んだ」って言ったけど、人間はそういうふうにしていろいろなものを殺して、恋も愛も運命も、いつかこの世界からいなくなるよ、そういう世界がはやくくればいい。あなたは私を、罪人にした。
これよくある呪いね、あなたがわたしを思って泣いてくれればいいのにな。そんなあなたをわたしはくずっていって笑い続けるよ。
この世界どこにいるかわかんないようなあなたなら、いっそいなければよかったと思う。
たとえば誰かがこの気持を「まだすきなんだね」とかいう言葉で片付けたとしたら、わたしは一番確実な方法で自分を殺してしまおう。
もうおたがい20だね。おめでとう。
演劇のキーワードになりそうなことでもある
きょうは、自分と他者との境目をはっきりと感じた日。
この世界は、断絶でできている。いつから自分と他者との線をおろそかにするようになっていたんですか。そんなことで何を傷ついているの、当たり前でしょ。
あー自分守ってるないやだなって思うけど、人生そればっかりです。進歩してるようにみえるのは、周りが動いてくれるから?多分そう。
いろんな境目を意識していこう。不必要な境目はできるだけ生み出さずに、境目のあっちとこっちを行き来していきたい。