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さみしくてないたり、なんかてきとうにえらんだうたでないたり、おんがくでないたり、とつぜんやってくるなさけなさにゆられてないたり、するようになったなあ
単純にみずをおおくのむようになったから、かもしれない
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興味がうつりうつっていく自分を、少しは受け入れられるようになったかもしれない。
夏にしては寒すぎるが春にしてはあつすぎる、心地のいい時間だと思う。せまい世のなかで、魚のようにおよぐ。窮屈だなんて、そんな傲慢なこと、ね。
明日はなんだかな、いい日だといいなあ。
人間にしかない(かもしれない)もの
飛び降りて死ねなくて、正常な自分が悲しかったので、記憶喪失になったふりをして泣くっていう夢をみました。
少ない友達が見舞いに来てくれて、名前を思い出そうとするけど出てこない、という演技を一生懸命する。現実の自分は泣きながら目が覚めた。
同情してほしいんだろうか。誰に甘えているんだろうか。居心地が悪い。
nocturne
言葉への嫌悪が募りはじめて、とうとう無視できないほどになっている。人がちょっと声をかけてくれたところに久し振りに心の動くところがあって、本当にそれは忘れていた感覚で、ちょっと自分が嫌になった。自分の中が分裂していく感覚を、それからずっと自覚している。
先行きがみえないという漠然とした虚無感は大きくなっていくばかりなのに、それに対応するだけの気力も体力もなくなっていっているようで、嫌になった時の逃げ様とかは完全に子どもみたいで、わたし大人なのか子どもなのかどっちなんですかね。(ずっと子どもでいたいよ、いい子どもでいたい)
言葉でなんかやってるうちはずっと堂々巡りだって最近のわたしの思考はそうで、言葉が信用できない。言葉は人間のものだから、人間中心から脱出できない。(それは個人的に不快なこと) そんなに頭でっかちになった覚えなかったのに、いつのまにか思ってることないこと頭が先走って、思考だけが車輪のようにまわっていくようなんだ。言葉に削がれていってる、わたしの中で言葉側の思考が暴走しているのか、文字が速い。
言葉から逃げたいという思いを言葉にする矛盾、矛盾。人に言葉で求める自分。矛盾。
どうしたらいいんだろう。
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自分に、遠くにいくことなんかできるんだろうか。
ここにとどまっていてはいけないという思いだけが、たまに強く襲ってくる。
最近ピントが合わせづらくなっていることを、気づいていたけどまるで何でもない風にしていて、身体だけがどんどん正直になっていって、理性だけは一人前になっていって、そして一番子どもでいたかった部分から順番におとなになっていく。
叫んだり泣いたり、思い切り笑ったり、そういうの最近してないな。自分の価値なんてカスほどだということを冷静に受け止めすぎているな。どうして絶望しなかったんだ?いくらでも叫べてどこまでも行けて、自由っていう概念すら足枷で、暴力的な炎みたいな自分。
だれも期待していないということを認めたくなかった。
とうとうそれを認めるから、もうわたしも誰にも期待しない。
人生は退屈だ、残酷だ、それから、わたしのものだ。