H氏、ミュシャ展を訪れる。1

話せば長くなるのだが。

 

私、仮にH氏とするが、H氏は去る6月3日、ミュシャ展を訪れたのであった。かねてから訪れるつもりではあったものの、会期末まですっかり忘れていたH氏は、決して逃すまいと心を決めた。スマートフォンの待ち受け画面をミュシャの絵画にし、電車を調べ、綿密にシュミレーションをし闘志を鋭くした。

かくしてH氏は、早朝のアルバイトを終えると、地下鉄で一路、六本木へと向かったのであった。

 

人が多い。

10時にしてすでに70分待ちであるという。H氏は頭を抱えた。誤算である。外は暑く、入場待ち列には初夏の陽光がこれでもかと射している。日傘や帽子などを持ってこなかったことをすぐさま後悔したが、ここで諦め、帰宅するという言葉は、H氏の辞書にはない。このくらいの列は列ではないのだと言わんばかりの冷静な顔つきをもち、H氏は列の最後尾につく。

 

これまた随分と入り組んだ列である。まず外に並ばなければならぬ。建物への入口が見えているにも関わらず、そこへ近づいたり離れたりするのは、餌を目の前に垂らされた馬のようなものであって、6月であっても苦行である。また、長い間立ち止まらせてくれればいいものの、列は高速道路のあの嫌な渋滞のごとく、動いては止まり、動いては止まりを繰り返す。昨年のちょうど今頃、若冲展チャレンジをしたことを思い出す。

 

H氏はなんとかこの時間を価値あるものにすべく努めた。鞄から取り出した本は、「読まずに死ねない哲学名著50冊」である。結果として、それは体のダメージを全く感じさせないほどの感銘と、同時に精神的ダメージをH氏に与えた。数々の名高い哲人たちに思いを馳せ、そのひとつひとつの主張に嘆息しながらも、炎天下で哲学を修めることは、凄まじい風圧の中で熱いお茶をすするようなものである(某日曜バラエティ番組より)、とH氏は悟った。余談であるが、H氏は、哲学に興味を持つ。

 

止まったり進んだりをこまめに繰り返す列の特性も相まって、集中力は長くは続かない。しかし、H氏は並ぶのも悪くない、と感じ始めている自分を発見した。列は、国立新美術館、車両の乗り入れ口へと差し掛かっていた。普段ならば来られない場所であろう、何度もこの場所を訪れているが、初めてみる光景であった。建物の人工的曲線的外壁と、赤と黒の直線的ロゴは絶妙なバランスでH氏に快さを感じさせ、さらに木々や草の緑が太陽の光を優しくなだめている。自然美と人工美の邂逅、すばらしいではないか。H氏は静かに何度も頷くと、再び視線を手元に戻した。

 

プラトン『国家』からアウグスティヌス『告白』までをさらったところで、まもなく建物に入ることができるという所まで来た。事件は起きた。列と列を区切るポールの隙間から、突如としてひとりのおじさまが列を一列飛ばし、H氏の後ろへと華麗な身のこなしで入りこんだのである。H氏はその様子を文字を追いかける視界の端で、しかと見ていた。H氏は焦った。後ろに並んでいるのは、聞こえてくる会話を思い出す限り、熱心なおばさま方であったはずである。もしおばさま方がよろしくない方法でこのおじさまを糾弾した場合、これが意味するところはすなわち、開戦である。H氏はひとり焦っていた。私が静かに指摘するべきなのではないか、「おじさま、列を乱されましたよ」などと、声をかければよいのである、しかしそれによって事が荒立ったら如何にせんと、H氏は葛藤した。

幸いなことに、出来事は何も起こらなかった。そこにははじめから、いかなるものも存在していなかった。はじめから並び順は、H氏、おじさま、おばさま方であった。やはり教養高いおばさま方、そのようなことにいちいち気を留められないのだ、H氏は肩をなでおろし、おばさま方の徳の高さを尊び、空を仰いだ。H氏の後ろにおじさまは、「あっつい」と何度も口にした。

 

しばしの間の後、H氏は、はたと気がついた。「私が一番、おじさまが列に割り込んだことに気を悪くしたのかもしれない」と。おばさま方を気遣っているように装いながら、質が悪い。H氏は自分を省み、自分を恥じた。H氏は頭を抱えてのたうち回りたい気分であったが、ここは国立新美術館である。H氏はその衝動をなんとかこらえ、そして、恥を拭い去らんと、哲学の概論を走ることに全神経を集めようと試みた。

 

悶々としながらも、中世スコラ哲学を通過し近代哲学をさらっているうちに、H氏はうまく集中することができていたようだ。気がつくと、まもなく2階へと続くエスカレーターである。H氏は我に返った。そうだ、私はミュシャ展に来たのだ。念願の《スラヴ叙事詩》を、ついにこの眼に入れることができる。H氏は、急速に鼓動が高鳴るのを実感していた。哲学の本をしまって、かわりになくさないように財布に入れていたチケットを破かないように丁寧に取り出すと、2Eと書かれた展示スペースの表示を見つめた。あの向こうで、超大作はどのように私達と対峙するのだろうか。私は、それらをどのように体験するだろう。

 

H氏のミュシャ展は、はじまったばかりであった。

 

 

続く!多分。

ダダだ!!!

友人らとダダイスムの映像作品を見る。(ダリ以来)

 

ただ四角が動いているだけで、最初はへえーふーんっていうかんじで観始めるのだが、次第に頭の底の方からおかしくなってきて、心臓の裏側を微妙な力加減でくすぐられているような感覚になってきて、なにかが振り切れてからが超おもしろい。いつもなら絶対笑わないようなところが笑えたり、起伏が両極端になったりする。不思議に思っているのとは違う脳の部分でおもしろがっている。

 

ダダは第一次世界大戦への反発や虚無、理性批判からスタートした一派で、既成概念の破壊やアンチを根源に持っていた。作り手はぶっ壊したいと思っていたのかもしれないが、作品たちを見ると、ただそこでは終わっていなくて、わたしたちの既成概念がぶっ壊れるまで、さらにいえば無意識にして既成概念をのっとるところまでいって完結のような気がしている。

多分これから、四角みたらそれが重なったり大きくなったり小さくなったり動いたりすることしか考えられなくなって、「ハンス・リヒターの作品もかく也」とか言う。

 

音楽も面白かった。美術に音楽関わるようになったのってやはり映像からの流れが大きいと思う。(歴史を勉強しなければならない。)美術作品が動くっていうのはとてもショッキングな出来事だと思うし、そういう意味での音楽におけるパラダイムシフトってないんですかね。

サティの音楽はやっぱりおもしろかったな、独特の間というか、パルスを感じる。こういうところで名高い音楽家が出てくると嬉しい。(名高い音楽家って自然に言ったけど何だ?あと、なんで嬉しい?他人のことなのに?)もうひとつおもしろかったジョージ・アンタイルは、音楽もサイレンをつかったりミニマルだったり増音程使いまくり緩急緩急序破急の感じでぶっとんでたけど、調べてみたら自叙伝『音楽の悪童』を書いているらしく、まず人物としておもしろすぎた。

 

これがダダか!未来派か!シュルレアリスムか!!!

もっともっともっと見たい!!!

 

お風呂ご飯布団

好きなものの話でもしよう。

 

タイトルにもあるとおりである。お風呂、ご飯、布団。これさえあれば生きていける。否、これらがあるから生きている、と言ってもいいだろう。

小説があればなおのこと良し、音楽があれば至福。

 

 

自分がこれらを享受するのはもちろんであるが、それらの気配というのもまた、いいものだ。

帰宅道中、私は住宅街をおよそ15分歩く。家一軒一軒に明かりが灯っている。その裏には実に様々な表情の方々がおられるのだ。それを考えると大層におもしろい。

 

夜になりたての時刻であると、夕ごはんの豊かな香りをあじわうことができる。個人的好みを申し上げるならば、砂糖醤油みりん酒、このパーフェクトカルテットの香りが通りに流れているのがをかし、である。

間もなくそれぞれの家で夕食がはじまるのだと思う、決してのぞくことのできない世界を脳内で描き(それは幸せな家族であったり、あるいは相方の帰宅を待つ人であったり、はたまたひとりで何かを思いながら耐える夕食であったりするのだろう)ひとり楽しむ。そして、これから自分がゆくあの家を思い浮かべる、またそれもいい気持ちであったり後ろ向きにずるずると帰ったりするのだが、ともかく帰る家があるのだ。

 

さて夜も更けた頃になると、お風呂の気配が自宅前の通りに流れる。それは、とろけそうな湿度と、湯そのものの香り、ほんのわずかに石鹸の香りも交じる。

安心感と、思わず口角の上がってしまうような幸福感、そして深い夜の闇にひとり取り残されたような若干の切なさもある。道でかぐお風呂の匂いほどいいものはない。

 

布団については言うまでもなく、また寝転がっているという姿勢についても相まって寝ているというのはとてもいい。普段の睡眠ももちろん悪くはない。休日、有限な時間を、あえて寝ることに費やす、やりすぎは自己嫌悪にさいなまれることになるが、この幸せを徐々に理解しつつある。できるだけ長く寝ていたい。たまにはいいのだ、たまには。たまには。

 

1日の終りを楽しみに、重力に完全に身を任せ、しばしの間むこう側の世界へ行く、それを頼りにしながらもしくは目標にしながら、今日も超絶破天荒不条理ワンダーランドを生きていこうと思うのである。

 

西洋の音楽

勉強の専門上、西洋音楽でない音楽に触れる機会が格段に増えた。一年ちょっと前の私はガムランもサイン・ワインもマカラも知らなかったし、お囃子半端ないすごいとか、ジャンベぱねえとか、やっぱり雅楽であるとかそういうのは遠い人のする話だった。(ジャニーズの話しかしていなかった。)

大学に入って、文字通り世界は音楽にあふれていて、井の中の蛙は大海へと漕ぎ出したのだった。

 

ピアノはわたしの劣等感の表象であった。

ピアノを弾くと、大抵の人がすごいねって言ってくれた。小さい頃はそれが嬉しかった。でも練習は嫌いだった。できないから、なんにもわからないから。何が正しいのかわからなかったし、どうすればできるようになるのかもわからなかったし、自分がやっていることの意味もわからなかった。だめだっていわれているわけもわからなければ、いいねって言われるわけもわからなかった。わからないでいることもわからなかった、わかってなかったというべきかもしれない。何回かコンクールに出て、そこそこの成績を取った。そこそこでしかない自分を、スーパーな自分にする努力を、わたしは放棄した。

幸いそのころ勉強ができたから、多分自分はそれをするべきなんだと思った。自分にはピアノしかない、なんてこれっぽっちも思ったことなかった。

 

長くなりそうだから割愛しようと思う。ざっと言えば、結局音楽から離れようと思ったのに中学で吹奏楽、高校で合唱をやり、宇宙開発するんだって言いながら、いつの間にか音楽の道に戻ってきていた。

 

今でもピアノを弾くけど、明らかに過去の貯金を切り崩している自覚がある。全然できてないんだろうな。求められるものに答えられているのだろうか。そもそも求められるからやるというところに不自然さを感じる。多分こんなんでは神様は振り向いてくれない。あれ、自分にもまだ向上心があったのか。

いいねって今も言ってくれる人がいる。違う、ぜんぜん違う。恥ずかしい、そんなことを言わないでほしい。わたしは何もしていない。あなたに何も与えてないし、加えてあなたに嘘をついている。あなたがくれた言葉を、受け取る権利を持っていない。えへへありがとうって言いながら、あとでそんな自分を思い出しては死にたくなる。

 

ちなみに、こんなことを書きたいんじゃなかった。何かというと、西洋の音楽には楽譜があり、それが戸惑いであり謎の塊だったのだが、今日練習していて、練習は謎解きみたいで作曲家が見ていて話しかけてくれているみたいで、その謎解きは意外とわくわくして楽しかったと気づいた、あと音楽って人と人なんだと思った、と書きたかったのだ。驚くほどわくわくしない文章を生産してしまった。

 

韓国伝統音楽にハマっていると言いながら、今日もなんやかんやでピアノを弾いている。