夢日記(6月19日)

打ちっぱなしコンクリートの平家のラウンジみたいなところ(丘の中に埋まっている感じで、笛吹川沿いにある。床は正方形で、壁の一面が取り払われていて川がわにひらいている)に研究班がたくさん集まっていて、それぞれお祭りの企画を先生に見せてチェックをもらうのを待ってる。

私の班は研究室のKさんとバイト先のLさんで、ステッカーとかビニルケースとかを準備している。大学時代の先生F先生に呼ばれて、チェックを受ける。(高い椅子に座る)

いろいろ言われるが、800円のビニルケースについて、「これって中身は透明ビニールなんですか(というようなことをもっと回りくどく言った感じ)」と聞かれる。え、そんなはずはと思って用意していたメニューを見ると、たしかに透明のビニールが出ている写真がつけてある。しまった、入稿ミスでは、と思う。Kさんは自分のところのプレゼンが終わったので先にお疲れ会の飲み会に行く。LさんはF先生の意図を理解しなかったようで、はい、そのビニルは……などと説明する。私が横から「先生は、この中には何が入っているんですか、と聞いてる」という。そうすると、「あ、違います、ステッカーの予定」と言ってくれる。わたしはwhat's insideとか英語で言った方がよかったかなと思う。そうすると先生は「そうすると値段設定がおかしくないですか」という。たしかにステッカー700円でビニルケース800円だな。「改訂します」となる。資料をしまおうとすると、白い私のファイルケース(スライダーで止めるやつ)の口がめちゃくちゃ裂けていることに気がつく。川を渡って居酒屋に行く。

Kさんをだいぶ任せてしまって、あとは先に終わった大学院の友人Oさん班などが集まっている。Kさんはカウンター席を背に入口側を向いて誕生日席に座っていて、すでにちょっと飲んでる。他の人も。生姜の佃煮みたいなのがお通しで置いてある。「遅くなってごめん」というと「全然いいよーそれより聞いてよーー」と愚痴が始まる。

夢(6/10から12)

 

1

2022年6月10日

 

高架下の交差点のちょうど曲がり角のところに、ガラス張りで白い壁、薄い茶色のフローリングの床の、広さは四畳半くらいで平行四辺形の角を落とした形のスペースがあって、(歩道に面したところはガラスで中が見えるようになっている)そこはいろいろなワークショップをやるところなんだ。中高の友人Oちゃんの家族(OちゃんはOちゃんの顔だけど両親は違う顔)がやってる。

ある夜に嵐のニノが通りかかって、ちょっと周りがきゃあとなって、それからニノはそのスペースに入って行って(ドアがあるわけではなくて、壁の下の方が一列切れて壁が前後にずれていて、そこからくぐって入る)数人と話してた。わたしはスペースの外から見ていたけど、隣にいた背の低い男の子が、スマホの録音装置を起動させて何食わぬ顔で隙間に滑り込ませてた。最初床の8cmくらいの段差に引っかかって落ちてしまって、ちょっと大きい音が入ってしまったと思う。"oops..." と言う。その子はなるべく何事もなかったかのように振る舞っていて、わたしは「ちゃんとオタクしてるね」と言う。

ガラスのスペースの前に椅子を置いて、スペースを囲むようにして話す。Oちゃんのお父さんが「ワークショップはこうこうこういう理由で(忘れた)大事なんだ、参加する人が増えたから、この間賞ももらったんだよ、ほら」と言ってスペースの端っこについていた壁と垂直の向きに取り付けられている(外国の看板みたいな)オレンジ色の看板を見たげる。両手を広げているような白い線のロゴの上にシールがはってあって、確かに「5○人(ごじゅうなんとかにん)」と書かれている。

 

 

2

2022年6月11日

 

お酒をたくさん飲んで、そのあとでポスターを貼るみたいな作業をして(机に乗って高所作業。研究室っぽい光景)、そのあとトイレに行く。先に妹が入る。お腹いっぱいだから、なんか嫌な感じするなあと思う。酔ってる方の私が座ってて、あんまりの方のわたしが正面からそれを見てる。銀行の話をしてるうちに、酔ってる方の私が便座に座ったまま吐いてた。頭を開いた足の間につっこむかたちで、最初の方はちゃんとうまくできていたけど、途中からうまくいかなくて便座の外にも吐瀉物が散ってしまう。白いカリフラワーの細かいのが混ざってる。あまり酔ってない方の私がトイレットペーパーで床のマットの上を拭いてあげる。「あのねえ吐くのはいいけどね、これがないとほんとに楽なんだけどね」と言いながらしゃがんで掃除する。洗濯しないとじゃん……と思う。

気配を察したのか左奥の方から妹が来る。地雷系みたいな肩のあいたふくを着ていて、嵐の緑のメロンのなんとか(フラペチーノのこと)があって、それ注文しないとみたいなことを言う。わたしは届いていたメールをぼんやり思い出す。酔ってない方の私だけするっとトイレから抜け出す。妹を見下ろして、おお……と思う。

ロシアと時差2時間で、8時から10時の発表。トンネルの向こうから地下鉄の気配がする。唇に妙なタイトルがつけられていて、それを読み上げられるのを聞いている。「学会長は女性なのに」と話している人がいた。たくさん飲んでるから(発表)みないよ、と言われる。

 

 

3

2022年6月12日

 

パニック系ゾンビ映画の2回目を見る夢。

ひとクラスくらいの人数の人たちとゾンビから逃げてきて、山のふもとのお屋敷を通り抜けて山に登って時間を稼ぐ。

日本家屋のような感じのお屋敷にはいって、とにかく上をめざす。壁を通り抜けながら上へ行き、天井の高い倉庫の中のエスカレーターを上がり、怖がっている子たちをはげましながらいく。エスカレーターを抜けると山(丘っぽい)の中腹にでる。光る石板の案内に従って、左へ曲がって木の板で作られた階段の通常ルートではなく、まっすぐいって途中で左斜め後ろに曲がって90度まがって野の中を進む方の裏道へいく。3人でいくけど、先頭の女の子がどの方へ進んでいいか途中でわからなくなってしまって、一度戻って確認し直す。もう一度やって斜め左後ろへまがって、そのあと90度右の方を向いて「こうでいいんだよな」とおもっているとピンク色の光が足元から進行方向に向かって伸びて、その光に沿って森がわれながら少し黄色っぽい明るい、石で両橋を高く囲まれた道が現れた。そこを走って進む。でもこの山行き止まりだったんだよなと思う。

 新しい日本家屋のお屋敷を通ってさらに上に向かって進み、一旦山の頂上とみられる場所(階段があって大きい倉庫みたいなものもある)にでる。まだ下からどんどんあがってきてる。リーダー格の男の子が周りを励ましているけど、内心どうしようと考えているんだろうなと思う。

 お屋敷の下の方では、このあとどうするかを高校の友人Tちゃんと男の子たちが話し合っていて、Tちゃんが話している勢いで玄関の扉をあけてしまう。そうすると、Tちゃんと同じ顔のゾンビがすきまからこちらに顔をつきだしてくる。なんとか抵抗してもう一度扉を閉めるけれど、男の子が「今顔を見られたのはまずかったかな、逃げよう」という。屋敷の方を通って逃げる。途中で外をみると、ゾンビっぽい人もいるにはいるけど、それ以上にたくさんの人がこっちをみて指差して叫んでいる。たしかに私とその人の間には火の壁があって、この屋敷全体が燃えていることがわかる。胎内巡りみたいな暗い通路も通り、壁抜けもやりながらまた頂上に行く。

 頂上で多くの人たちが各々話している。重大なことに気が付く。この山の反対側は崖と海になっているから、わたしたちは行き止まりに来てしまった、この山で死ぬしかないんだと思う。このあたりで「この映画後何分くらいかなあ」と思う。海側の下の方をのぞいてみると、緑色のマイクラの上下に移動するときにたてるはしごみたいなものがあるけど、すごくしたまで続いていて、これは抜けられないなと思う。ある人が「あっ」と言って、周りの人もなんだとなって一緒に街側を見下ろすと、街の向こうの方からこちらの方に向かって、広がっていた土煙がこちらに向かって一直線で進んできていて、ゾンビがここをねらっているということがわかる。そこからみんなパニックになる。ここからまだ戦ったりしないといけないから、あと残り1時間くらいあったと思うなあと考える。

 ある二人組は、「おいかけないでね」「もうできることは限られてる」と言って森の中へ入っていった。その後多分銃声が聞こえた。一発でちゃんと死ねてればいいけど、痛いのかなやっぱり、とか思う。あるおじさんが海の方になんとか抜けようとしているのを反対の目で見る。女の子が数人ついていっている。普通に下りの道を行くような感じだったけど、道があったんだっけ。

 私はどうしようどうやって迎え撃とうかなと考えている。そこにある女の子(シャニマスのりんぜみたいな子)が「妹がきてない」という、その子は冷静にいう「妹はまだ下の方にいるかも、(なにか)にさわってなくて壁を抜けられないの」という。

 

 

夢日記(つめこみ2)

 

紙媒体にメモしていた夢のまとめ。

 

1

2022年4月4日

 

高いビルにのぼっていて(新丸ビルみたいなイメージ)人と一緒だったのに自分だけ先に降りてきてしまう。電話すると、上階のロブスター屋さんでのんでるという。上の階には大人数のエレベーターに乗らないといけないから、「裏口を使おう」と思い立つ。機械室みたいなところにこっそり入っていくと、後ろでドアがあいて、「これがエレベータですよ」と言われる(怒られるかと思った……)。

それは不思議な一人乗りエレベータで、紐が吊り下がっていて、それを囲む形でちょうど紐につかまると両足が乗るくらいの丸い木の板がついていて、紐を掴んで板の上に乗ってから腰から肩までを引っ越し屋さんが持ってるふとんみたいなのでまいて固定する、という方式。最初のエレベータはすぐできたけど、中階用の乗り換えでとまどう。あくせくしていると外から喋り声がして、まずいと思って一回隠れるけど、ドアが空いたらスタッフと二人組で、隠れるのを素直にやめる。スタッフのおばさんが引っかかってくれるのをうまく外してくれて、上に上がることができる。上階について(といっても大きなベランダみたいなところでまだ上もある)、広場のはしの方のエスカレータの横あたりからでていって人を探すけど、なかなかみつからない。

 

2

2022年4月10日

 

この間読んだ面白い本みたいな話をしていて、その場には持っていなかったけど、文庫本で、後ろの方だけ紺色から紫色のグラデーションの紙に書いてあるページがあるものを思い出していたら、それは高校からの友人Sちゃんの好きなもので、(オリジナルについて)新書サイズで前編が紺から紫のグラデーションの髪でクリーム色の文字で構成してある小説だと言っていて、「ああ〜本物はそれだったのか」と思ってそれをSちゃんに話す。

木の感じの床に座って話す。

 

3

2022年4月13日

1

旅館みたいなスタイルの木曽路にいく。中庭に面した部屋で、廊下を経て緑があざやかに見えている。しゃぶしゃぶの一番最初にやってもらうのをみる。視点はけっこう下の方にあって謎だったし、肉をやってくれるお姉さんの動きをおいかけていて、ドキュメンタリーみたいだった。途中で開け放たれていた中庭側の扉から虫がはいってきて、それを指でくっつけてふいてた(ナウシカ千と千尋の中間みたいな感じで)。

「はじめてなのに(しゃぶしゃぶをやるのが)すごい(うまい)」と言ったら「この人たちはじめてじゃないよ」と言われる。

 

2

Luca(NIJISANJI ENのライバー)が「POG!」ってひたすら言ってる夢。遠くからそれを聞く夢。

 

4

2022年4月15日

 

大学(学部のときの)に行く。コロナ後は守衛を通るときに学生証をカードリーダにタッチしないといけなくて、卒業して学外者の私は別の紙に書くことになっている。でも今日は間違えてカードをタッチしてしまった。ふつうにピロンとなって入れたけど、それを植木の向こうからバイト先の上司に見られていて「某大生じゃないのに……」ってばれたかなと思う。

学科の部屋に行こうとすると、階段から落ちた人がいて、教務にとんでいく。教務の前にはお花屋さんがある。なんかインスタに投稿したくなる。

 

5

2022年4月16日

 

呉服屋さん(1階だてで新しくて全体的に明るい。郊外の道路沿いにあるユニクロみたいなかんじ)に、家族と浴衣を買いに行く。ピンクの浴衣で、母に「試着しろ」と言われて奥の方の試着室に行く。でもほかにいろいろ用意すべきものがないが……女性のスタッフは他の人の手伝いをしていて、わたしはなぜか持ってきてくれたアイク・イーヴランド氏(NIJISANJI ENのライバー)に手伝ってもらう。

次に気がつくと試着室の中で寝ていて、外にいたお母さんから声をかけられる。日本酒がおいてあって「二人でちゃんと飲みなさい」と言われる。結婚かなにかに関わるものらしく「えっ」となる。

床に置いてある雑誌の編者に母方の祖父の名がある。私はわけがわからなくなって混乱した。外の話し声が「ペトラ」と言っている。お父さんが入ってきて「いい人だからいいんじゃないか」と言われる。

 

6

2022年4月23日の昼寝

 

にじさんじENのライバーがたくさん出てくる夢。とにかく私は苦闘していた(?)

 

7

2022年5月11日

 

にじさんじENのVoxとMystaと高校の友人Nさんと俺でディズニーランドにいく。ハニーハントの乗り物がもっといろいろな種類のあるタイプのアトラクションに行ったり(基本的には箱型だけど一つだけ「一人用のかかえてのるタイプのぬいぐるみ」というのがあった)、ちょっとこわいタイプの[判読不可能]の中の乗り物に乗ったり、馬に乗ったり(友達になったり)たのしかった。

 

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夢日記(つめこみ1)

携帯のメモに軽く書き留めておいた夢

「記録したい」と思わないと起きてもすぐに忘れてしまうので、おもしろい。

1

2020年4月29日

1
恋人くんと自転車で高架下(高速道路の下)の道を走っていて(右側通行だった!)、途中に側道へ抜ける道があり、そちらへ行って恋人くんが「明日はここだ」、といいながら免許のビルを指して入っていった。そうか、明日が免許の取得なんだっけ、と思いながら当たり前に中型を運転する恋人くんを描き、「いつ頑張ってって言おうかなあ」と思いながらビルの敷地に入っていく恋人くんの後ろ姿を見送り、自分はその手前にある黒い高い柵で囲まれた自転車置き場にはいる。自転車をとめる列の一部になってまっていたら、「これ以上は満車で、あとは運になるから、ほかのところにとめてきたほうがいい」と管理人のおじさんがいう。そうすると、かきなんとかさん(うろ覚え)が、「だったらお金を返して」という。私もしぶしぶでていって、ここなら大丈夫かなあみたいなところに違法駐車する。

2 大学の友達のおうちへいく。友達のお部屋のドアをとんとんってして、「はいっていいかなー」といいながらそろっとはいる。左奥に部屋が広がっていて、ドア右の棚の上にテレビがついていた。キッチンで料理をする。玉子に徐々に砂糖を入れながら混ぜていく。時折泡立って、消えていくのをみてこれでいいのかなーってやるけど、友達がスマホを見ながら「いいっぽい」っていってくれる。友達のお母さんが途中で来て、「あなたのお母さんがこんなこと言ってるよ」ってスマホで見せてくれた。アメリカに行っていたときのことが書かれている。安っちい茶色い背景で枠に囲まれたブログみたいなやつ。それをみて、「そうそう、そういうことがあったんですよ」って話す。


2

2020年5月7日

大きいホテルみたいなところに父方の祖父母といとこ家族のみんなでいく。4月で、回廊みたいな、全部真っ白のドームの通路には壁に埋め込んだガラスケースがあって、小さい大きさの陶器の作り物が並んでいる。覗き込むようにして中を見る。(陶器目線もあった。自分が陶器の側の目線になって、覗き込んでいる人を見る。) 翌朝5月になったら展示品が甲冑とか日本人形とかになっていて、「あ、5月だからだねー」とか思ったりした。そして回廊の外に出ると大きなメインホールになっている。そこは黒い人影と物のコンポジション、みたいなものの立体的なラフスケッチが、坂になったガラスケースと周辺に取り付けられており、周囲の壁にはダリとマルグリットが交互に配置され、正面のど真ん中にはダリの顔写真もついた大きい絵が飾られていた。おおー。


3

2020年7月18日

宇都宮に行くはずだったのがついてみたら神奈川県で、「栃木県と神奈川って通じてるのか?」と思った、多分神奈川の上の方なんだ、と思うけどあの形は三重県だしな。 宿舎は天井が高いけど、みんなで泊まってるところは畳張りの場所、布団を敷いて眠る。ついたら散歩をすると、路地の方から声が聞こえてきて、学校があった。それをみて神奈川県とする。意気揚々とその報告。あとから間近で歌を聴かせてもらえることになった。 連絡をとって、最初の夜。ええ感じ。起きるともうほとんどだれもいなかった。しばらく歩いていくとおもしろい場所があるのでどんどん入っていく。草のトンネルなどをくぐっていくと行き止まりで、背の高い柵(公園の野球のところ囲う緑のあみあみのやつ)で囲われていて、左手にアパートがある。戻って右に抜けると公園で、真ん中に像があって周りが石で覆われている。公園全体が石の地面で、「こんなのはおかしい生きるためならこんなことはしない」と大学の友人Mくんがいう。きっとわたしたちは3週間のうちにどこかで殺されるのだと思う。訪問者として中学の同級生Hくんがやってくる。中学の同級生Nさんと「久しぶりに見たねえ」とかいう。


4

2021年7月29日の昼寝

大学のT研の研究発表会に参加し(あまりいいフィードバックはもらえなかったもよう)、その後ご飯となる。ごはんは日本料理屋で、楽しくやる(車屋の2階)。2階の畳の部屋で大盛り上がり。みんなで帰宅となるが、荷物を全部忘れたことに気づく。
大学院の友人Kさんに、荷物を忘れてきたから戻ると伝える。戻るとおばあちゃんがいて、表玄関を入って右の背低めの戸棚の上から2番目を板ごとはずすとスイッチが出てきて、押すと表玄関の向こうにドアが現れる。ドアがあることはばれてはいけないが、そのときに頭から腹にかけて血塗れの夫婦が3組入ってくる。血まみれだとご飯をもらえるから。包帯の巻き方が似ていることが指摘され(頭からかけているだけの人が2人)、不正がないか確認が進む。その間にドアの向こうへ。
地下に向けて階段が続いている。音をたててはいけないので急いで静かに降りようとすると、向こうから誰かをしょってのぼってくる人の姿がある。その人は女の人で、「次はあなたが入るのね!!」と言って階段を上りきり、倒れ込むが息切れしながらそのまま走っていく。何かがいて、誰かが入っていないといけない。私はそんなつもりはない。下から何かに追いかけられるようにしてかけ上がってくる人も。その人が大声をあげながら襲いかかってくるが、左隣で階段正面にいた人が、紙でその人を気絶させる。気絶させたあと、こちらを向いて何かを話し、出ていく。私はその人を階段(左側の壁沿いにある)の一段下がったところにおいた。するとその人は寝相で、着物のえりのところを蝶のかたちにしながら頭から落ちた。下に着く前に、大きな黒いいるかになって、したの浅い四角い池に向かって落ちた。背側に血がしみていた。私は、私のせいで落ちたのだと、紙で気絶させた人に話した。


5

2021年10月18日

「屋上に行きたいんだよね」って言われたので、高校生の家庭教師の生徒を自宅の屋上につれていったら、なんか私は怒られるみたいで、先に家庭教師の事務所の相談所に行っておいてください、あとで自分も行きますからと言われる。
相談所へ行くと、そこは個人塾も兼ねている場所らしく、機械が玄関にあるけれどもどこに相談したらよいのかわからない。右側の青い屋根の、なんか違う券の発行所みたいなところに恐る恐る聞いてみると、つんけんとしながらおばさんに「となり」と言われる。ふくよかなおばさんと娘さんがでてくる。「ちょっと移動しましょうか」と言われて、車に乗る。かなり遠くまで行く。うねっとまがったT字路のようなところも通る。なかなかつかない。うしろから追いかけてくるものがある気がする。


6

2022年4月22日

123Suica

お母さんが死んでしまう。最後にお母さんが亡くなるときまってから、お母さんが歩いていってしまう前にみんなで写真を撮った。たくさん泣いてしまう。 お母さんが行った後、妹と家をうまくやる。活気のある街で暮らしている。

「どんなにかわいくても、写真は1枚ずつでお願いします。」


7

2022年5月4日

出かけようと思ったのに探しても探しても必要なものが見つからない夢
とか
エリーラとミスタが出てくる夢
とか


8

2022年5月23日

指導教員の先生に、「文章いいよ」「やさしい言葉でよくわかる」と言っていただく夢。


8

2022年5月25日

ポケモンイノムーみたいなやつが、切り立った薄茶の山の尾根沿いにいっぱいいて、背景では大学院のN研の今日の研究授業は誰でも入れる、とTAの人からのお知らせアナウンスが流れている。イノムーたちが手前側の尾根から登っている人たちに迫ってきたので、わたしたちレンジャーは何かしないとと思って肉みたいなものをあげる。そうしたら動きが大きく変わって、これはまずいことをしたかな、と思った。


9

2022年6月3日

改札に入ろうとしたのに向こうからもお客さんが来たのを押し切る。腹が痛くて、でも効く板もないし働きたくないし、泣きながらお店を徘徊する。


10

2022年6月5日

研究室の後輩Fさんが研究室のケトルをみて「あれ?この真ん中の赤いボタンってなんですかね?」っていいながらカチカチしているのを、背の高い視点から見下ろしている夢。

11

2022年6月7日

吹奏楽の練習にいく。門の前にたまっていた男子学生たちに「お前もこっちなんだ」と言われるのを後ろに聞きながら、右の一本道を競走して走る。橋にさしかかったあたりで、楽器を忘れたことに気づく。言い訳して急いで戻る。すごく恥ずかしい。
そのあと戻ってきたら、妹氏が写真をもとにタイポグラフィのムービーを作ってくれていた。


かなり支離滅裂なところもある

ファン歴2ヶ月だが、ちょっと『かまいガチ』ドラマ回について話したい

 

 

久しぶりの投稿になってしまった。

 

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タイトルの通りである。

ファン歴2ヶ月だが、2021年2月8日の回(2月9日深夜)に放送された『かまいガチ』について話したい。

 

本題に入る前に自分の話を少し整理させていただく。

 

かまいたちを好きになったのは今年に入るか入らないかくらいで、きっかけは妹がみせてくれたYouTubeだったかと思う。

それまではネタ番組でなんどか見ている程度であったが、ネタだけでなくトークがおもしろく、また二人の掛け合いがみていて楽しく、いつのまにか彼らを応援するようになり彼らに囲まれて生活するようになった。

話は逸れるが、2020年末に嵐が活動を休止してしまった。嵐を好きだという気持ちの中にも、彼らがアーティストでありながらも一人の人としてメンバー同士話したり笑ったり、お互いを大事にする姿に惹かれたという側面があった。

 

自分がかまいたちに向けているのは上の場合と同じような気持ちで、ネタをやっている芸人としての姿だけでなく、そこから少し離れている(ようにみえる)姿や二人や周囲の人たちの関係性も含めたかまいたちをいいな、好きだなと思っている。*1

今はかまいたちのラジオ、テレビ番組、YouTube、雑誌書籍、SNSなどで日々拝見している状況だ。

 

 

そしてかまいガチである。

この日の内容は、かまいたちの二人がガチでドラマに挑戦するというもの。

そのストーリーは、

 

 

《!以下ネタバレが含まれます!》

今ならTVerで観れる↓

 

 

 

 活躍を続けるかまいたちの二人だったが、二人の間には次第に溝が生じていっていた。ある日のかまいガチ収録後もお互いへの不満を表にする二人。そしてとうとう山内が「解散させてください」と頭を下げる。山内は「おまえ(濱家)に飽きた」と濱家に告げ、濱家もそんな山内に反発し不満を募らせる。濱家の複雑な心情の背景には、山内の病気があった。濱家は彼の事情をマネージャー伝いに知っていたが、山内は濱家に打ち明けるそぶりを見せない。楽屋に残された「やらなきゃいけないことがみつかった」というメモ、山内の「ごめん」という言葉、そしてとうとう二人は解散することになる。あるかまいガチの収録で、山内は濱家ひとりをカメラの前に立たせる。濱家の様子をみた山内は、「ひとりでもやれるやん」と声をかけ、「自分はピン芸人になる」「もっと広い世界に行くんや」と濱家に伝える。その姿から濱家は山内の心を感じ取ったか。——2年後、濱家は賞レースの舞台へ立つ。ピン芸人として、しかし横に相方の存在を感じながら……

というもの(まとめクソ下手)。

 

 

見終わってまず、複雑な気持ちだった(心の山内がしぶい顔で「どういう意味?」と言っていた*2)。

 

普段芸人である彼らが真剣に演技していること。「練習がめんどいから絶対に役者はやりたくない」と力説していた山内さんと「ゲラ家」こと濱家さんがシリアスなシーンに挑む。その状況は確実におもしろいし、時折「わーここ苦労したんだろうな」というシーンがありそれを想像するのもまたおもしろいのだが、ストーリーが以上の通り全然笑えないのである。

笑ったらいいのか泣いたらいいのかわからず、ヘラヘラしていた。

そして残ったのは喪失感だった。

「もう彼らはいないのではないか」という感情がずっしりと体の真ん中に居座っていた。

 

彼らの演技がうまかったのかはわからないし、どのくらいドラマとして完成度が高かったのかもわからないが*3、ちょっと一口では飲み込めない気持ちの変化があったことは事実だ。

この感情はなんだったんだろうか。

 

 

自分はまず、この番組を「彼らが演技しているのを楽しむ」というつもりで観ていた。どんなふうにお芝居に取り組むんだろう。ちょっとメタ的な楽しみである。

だからどこかでは「うぉ、このカット『ドラマ』って感じだなあ」だったり「あ!がんばってる!がんばってる!」「今の顔いいなあ」というテンションでみていたのだ。

そして最後までこの視点は保持されていた。最後のシーンが完全に2019年のM-1を踏襲していることも冷静に把握できた(「4440」だな、あの後ろ姿だな、うわ〜泣かせにきてるわあ)し、「アナウンサーが舞台の方まできてくれるのか〜」とか思っていた。

この点をみると、普段ネタをみるときの視点がそのまま運用されていると言ってもいいだろう。ネタをみるときには、現にネタそのものをみているだけでなく同時に二人の仕草をみているのであり、あるいは同じネタの別のバージョン(過去の時間軸)と照らし合わせながらみていることもある。さらにそのネタがコントであった場合には、「署長と警察官」とか「学生」の二人をみつつも「かまいたち濱家と山内」を同時に意識しながら見ている。

つまりいくつかのレイヤーを与えながら二人の姿をみることは、ある意味では普通のことであり、それは今回のドラマであっても同じだった。

 

一方でこれが「お芝居である」ことを忘れるような気持ちでも観ていた。その要因には、この作品(いまさらだが作品と呼ぶことにしよう)の舞台が、普段見ることができず知ることもできない芸能界の、そして彼らの「本当の」姿を舞台にした物語であり、かまいたちの二人が本人を演じていたことが考えられる。もし彼らにこの作品で描かれたような出来事があったとしても、一ファンであるところの自分には知る由もない。加えて、コンテンツではないかまいたちをみることは普段不可能だが、見慣れた彼らの姿やふるまい、他者との関係をみせられることによって、現実と作品を混ぜ合わせてしまうような想像力が働かざるを得ない。

つまり、この作品の中で描かれていた二人の姿は、「初めて観る二人の日常」だった。この作品はそういう意味で、意図とは無関係に自分の中にあるかまいたち像をうまく補完する役割を担ってしまったのである。

 

これらの点においてこの作品は「フィクション」でありながら「実際にあってもおかしくない話」つまりファンにとってはリアリティのある物語として成立していたとみえる。

 見終わった後のあの複雑な気持ちは、普段のネタと同じ構造で彼らを見ることができていながらも、その内容ではコンテンツ化されていない「彼ら自身」を見てしまっているのかもしれないというずれ、そしてその中で考えもしなかったような喪失の可能性をつきつけられた衝撃によって引き起こされていたのではないかと、冷静になった今では考えられる。

 

 

ところで新海誠監督は『君の名は。』(2016)公開時のインタビューにおいて以下のように述べている。

君の名は。』は、男女の入れ替わりで始まります。ヒロインの宮水三葉(みやみず・みつは)が、東京の男の子になるコミカルな話ですが、最終的には東京の立花瀧(たちばな・たき)が「もしも自分が、消えてしまったあの町に住んでいたら…」と考える物語に変わります。僕たちが2011年以降にずっと想像していた「もしも私があなただったら…」という想像力が、そのまま映画の中にあります。それが無意識のうちに、たくさんの日本人の観客にリンクしたのかもしれない、と思っています。*4 

 

 

 「もし……だったら」という想像は無意味な戯れにすぎないかもしれないが*5、それを考えずに生きていくことは現代において不可能と言ってもいい。わたしたちは気づかないうちに「もし」をくぐり抜け、いくつも存在していた可能性のなかから偶然にそのうちの一つを選んで(選ばされて)ここまで来た。立ち止まることによってしか見ることのできない「もし」。

ただ、これが現前することによって逆説的に「いま」に光があたることになる。もし、が本当になるために、あるいはもし、を避けるために、(『君の名は。』の瀧くんのように)わたしたちは想像力を駆使して、いまを戦うのである。

 

かまいたちの二人やかまいガチのスタッフの皆様がこのドラマ企画を通じてファンに見せようとしてくれたのは、端的に「かまいたちの新しい可能性」だったのかもしれない*6。だがそれだけでなく、この作品は図らずも番組の枠を超えて、かまいたちというコンビ、その現在に光を当てることになったと思う。

この作品はドラマの方法とお笑いの鑑賞の構造を併せ持ったゆえに、今自分の前に(画面の向こうであっても)かまいたちがいて、二人で元気な姿を見せてくれることの尊さ・儚さをあらためて観客たちに実感させることになったのではないか。

 

「推しは推せるうちに推せ」

「素直、謙虚、感謝」の次に、自分の胸に強く刻む言葉になった。

 

これからも二人の活躍、そしてなにより健康を祈って、応援し続けたい。

 

(ちがう)

 

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まだビビっているので1回しか観れていません。

また観て、何かあったら逐一直したり追記したりしようかなと思います。

 

 

ちなみに謎の喪失感に襲われてアワアワしたのち、なぜだかコンビニにダッシュして森見登美彦氏の『熱帯』のだるまを作った。

かわいいねえ。そして推しの喪失から救ってくれるのはやはり推し……

 

 

おしまい

 

 追記①(2021/2/9)

2回目を観た。回想シーン(これは実際にあったもの)を使用しているが、ぜんぜん上の文章では触れていなかった。あまり印象に残っていなかったのかもしれない。

上で述べたような伝達の構造としては変わらないと考えるが、これらを挿入していることでよりリアルな描写になることは間違いないと思う。演技というか画面全体の助けにもなってると思う。また濱家の賞レースシーンで将来のことを話す二人を挿入することで不在を強調させてるな〜と思った。

あとカメラの難しさを感じた(ピント、カット、カメラ位置など。何を偉そうに……)。

最後の「めちゃめちゃおもろかった」を力強く言う濱家氏がとてもいい。解釈されるものとしてはとてもいいかたちになっているんじゃないかという気持ちになる。普段バラエティをやっている枠を使って作ったドラマだからなのか。ドラマを通していいたいことがちゃんと伝わるようになっているというか(何を偉そうに2)。


(通勤通学でみたら泣いちゃう気がするぞ!!)

 

*1:以前ジャニオタがかまいたちにハマったら、みたいなnoteを読んだ気がする。ジャニオタを経験している人であれば、お笑い芸人を推すことは至福に近いものがあろう。なんせ供給が多い。本当に多いのである。

*2:https://youtu.be/Z2Psg2JZbKEこの動画の「もし仮に俺が謝ってこられてきてたとしたら〜」のあとの山内の顔を参照

*3:さすがに樺澤マネージャーの役で黒木華さんがでてきたときにはびっくりした。すごいなあ。

*4:HUFFPOST(安藤健二【3.11】『君の名は。』新海誠監督が語る 「2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきた」 | ハフポスト

*5:「もしもしもしもしってお客さんの前でもしの話すんなや」っていうの、あったなあ。

*6:というかそうだったと思う。もしかすると本当にお仕事が来るんじゃないか。