無限の自己言及について

 

いままで言葉にできなかったところをあらわしてみるとこんな感じかもしれない。

 

この下にはただの自己満足とドン引きかもしれない内容が書いてあって、あなたがそれを読むと筆者であるわたしは気持ちよくなって、読者であるあなたはおそらく不快な気持ちになるだけです。そんなことを書いておきながらじゃあどうして公開するのかというと、これはわたしが苦しんでいるふりをしながら心の底からの欲望を満たして満足するために書いた文章であって、この装置は読まれて初めて成立するものだからです。そして、この壮大な矛盾をほんとうはいつかどうにかしたいんだということを、かろうじてわたしはそのことを自分の本心だと思っているけれど、いつかの自分のためにここに表明しておきたいと思うからです。

 

----------------閲覧注意----------------

 

 

書いたのそのままみたくなっているので文章がぐちゃぐちゃです。何の話してるかくらいはわかるように補助線引いてみたけどまじでなにいってるかわからないかも、許して

 


友達に結婚に向いてると思うということを言われた。なるほど!その見方はなかった、と自分でも思った。親族には結婚してくれと言われる。結婚ね。別に結婚が嫌なわけではない、と思う*1、どちらかと言えば結婚してしまうことによって発生してくる可能な物語が自分に適用されることをこわがっている。いや、違うな、結婚とかそういうのに関係なく、他者といることについて、こわがっている、ようなふりをしている、自分でもわからないがそういう話をしていこう。


ところで、ここにでてくる人を好きになる、とか深い関係になる、とかは恋愛だけの話じゃないです。


なにから話せばいいかな。

現状から行こうか。今のところは結婚したくないと公言しまくっている。ひとりがすきだしひとりで十分精神的に満足しながら生きていけると思っているから。もう少し詳しく言ってみると、ひとりで最低限度まで自分を満たせるという、そのことを自分に言い続けて課し続けてそれに慣れてきているし、今後もそれを保ち続けられるような気がする、ということである。今だってひとりだけで楽しくなれるんだから問題はない。

 
人とうまくいかなかったという経験をきっかけにして、人と深く関わりたいという気持ちをなるべくなきものとしてきた。これが功を奏したか、もう突発的にそういう気持ちになることはあんまりない。人といるときにはそれを自重できる、基本的には。深く関わると面倒くさいことになると思い込んでいる。だから深く関わらないほうが身のためだと思っている、失礼だけど。それは自分と他者との間の話でもあるけど、本当は自分が面倒なことになるという話なのだ。

 


たとえば恋愛について、こういうタイプの人がいる、あるいはこういうタイプの恋愛についての作り物がある。「離れているときもお互いのことを思って頑張れる。」自分もそういうタイプかと思ってきたが、これが案外そうではないらしい。人が近くにいてくれた方がうれしいし、寄りかかっていたい。ほかにもいいことがあったら1番に教えたいなあとか、いろいろ話したいことがあるんだとか、人並みには思ってる*2、そういう軽いのだったらまだいいけど、そんなんじゃない。一言でいうと、まだ自分を存在させ続けるそのためだけに他者を必要としている。自分がまだ生きていたい、まともな顔して生活しつづけたいよ、という自由とその自由を守ることができる武器である関係性のためだけに、わたしには他者が必要なのだ。


でも今のところその他者はいらない、上手に他者といられないから。人を好きになるのがこわい、自分の内側に別の存在を強固にするのがこわい。同時に他者の中に自分が入り込んでいくことも。外側にいてくれる分には全く構わないのだけど。自分がどんどん他者に侵されていく、それは心底気持ちのいいことなんだほんとは。それをいろいろなところで知ってしまったのが今思えば悪かったかもしれないな。言葉と言葉で、身体と身体で触れ合って、心と心で触れ合っているような気になって、存在していることを確かめあって、その気持ちよさを知ってる、でもそれは自分が自分というかたちを保てなくなって死んでいくことで、同時に他者の側も死んでいくことなんだ。それだけの世界になってくれたらどれだけいいだろうね、どれだけこわいだろうね。こわいほど人間らしいね。

今のままの自分でいたいよ。それでいて人ともいたいよ。そんなことできるはずないのにね、望んでも叶わない望みだ。

 

他人といることについての恐怖というのが大きく2つある。ひとつは、自分が自分を満足させるためだけに他者を「殺して」しまうというその罪を負わなければならないことに対して、もうひとつは他者は必ず失われるということに対して。


まずさきに後者について、他者と深く関わるようになって、自分が他者に対してする行為がどれだけのものか分かって腹括って何も考えないで気持ちよくなる方を選んだとして、というかそれ以前に人には言えなくても意識は人に依存してるわけだから関係ないんだけど、今の人とのありかたが保てなくなる可能性の方も考えないといけない。

全員いつかは死ぬし別れなくちゃいけない、そういうのをみたりそういう物語を取り込んだりしてきたけど、自分の中にそれがない。深い深い悲しみと虚無、それを恐れている。きっと自分は自分を保てなくなってしまうんだろうなと思う。本当は、本当は人を好きで人を求めてるから。人とでないと生きていけない。本当はそうだってわかってるから心から永遠でないものを恐れる。永遠なんてこの世界どこにもないのに、頭ではわかってるのに自分にだけはそれが当てはまらないようになっていて、諦められなくてずっといる。

依存してしまう、求めている人といるのが心地よすぎて、本当は人に認められたいし人から愛されたいと思ってるんだ自分は。自分で自分のことを満足させられるなんて言ったけど、本当はそんなのは嘘だということをわかってる。自分を満たしてくれる人がどこかにいるって信じてる。そういう人に頼りたいと思ってる。人と生きていくのにまだバランス良く、うまくということをやれない。どうだい、こんなに自己中心的だよ。

 

ここからおもに前者について。

自分の満足に人を巻き込む、そんなことを人にさせるのか?それに人を巻き込みたくない、自分のせいで人がだめになってしまうのは絶対に違うと思う。そうはならないよって言われても、自分にはそうなるようにしか思えない。自分が人に求めることは、その人がだめになってしまうことと引き換えに得られるものだ、おそらく。たとえそれでいいんだよって言われても、それは自分が嫌だし自分が許せない。

それが死や別れであろうと、自分の手で人を傷つけて遠ざけることによってであろうと、いつか絶対離れなくちゃいけないんだ、出会いの先に待ってるのは月並みだけど、ぼろぼろになって別れることなんだ、だからはじめから人を遠ざける、最初からそういうふうに他人とならなければいいんだ、ぜんぶそれで解決なんだよ。ひとりでいればいい。失って悲しむこともない。

 

でも深い関係にならなかったとしても、ここまでのこと全部同じだ、全ての関わる人に対して同じだ、人と接すれば自分は変わってしまうし他者も変わってしまう、そんなの、そんなの責任取れないじゃないか、いつのまにかものすごく傷つけて、あるいはものすごくやさしくして、でもやっぱりそれが傷つけてその人のかたちを変えてしまう、他者と接することは最初から暴力なんだきっと。

人を毎日無害なふりして傷つけながら自分でこんなことを考えている自分を、みんなの問題を自分のものだけにして考えるだけで満足してる自分を、ひとりで平気そうな顔をしながら本当は人に甘えたい、人といたい自分を許せない。自分を侵されてなにも考えなくてよくなって、とろとろになってる自分を許せない。他人に自分のこと救ってもらって、それでへらへらしてる自分が許せない。それは自分に厳しいというのとは違う、むしろ自分に甘いのだ。他者のことを思っているふうでいて、自分がぐちゃぐちゃにならないように、ならないようにってそればっかりだ。いつかぜんぶが失われるという悲しみを、そういう自分への厳しさみたいないい気持ちになれる詭弁と対決させて、いつも失う悲しみの側を負けさせてひとりでいればいいんだって自分に言って、すべてを背負って強くあるようにふるまってる自分に満足している。ああ悲しいほどに自分のことしか考えてないね、人といたいなんて、いう資格ないね、(こんなこと言ってるようなやつはね、どれだけ望んだって結局ひとりだから安心しなさい。)


自分はひとりでいれるしひとりでいるべきだ、って思ってるせいで抱えてしまった矛盾のあいだでの自己嫌悪がひどい。人のこと馬鹿にしてるくせに、自分がそれと同じかもしくはもっともっとずっとげすいことを考えていることを認められない。ときどき無意識に人に対する欲を人に示してしまうことがある、欲望ってなんとなくだけど透けて見えるよね、目の奥が熱っぽく赤く光ってるような感じがしてさ、どうでもいいけどそんな自分が怖いよ。結局もう自分なんてどこにもないのかもね?最低だね、この矛盾をずっとずっと持ち続けながら生きていくのかな、たくさんの顔を持って人を無意識にあるいは意識的に傷つけながら、それでも人を求めて人を殺して、自分は自分を守って平気な顔で、傷つけられたときにだけはまともに悲しんで、自分で自分をかわいそうだね?ってして、人にもかわいそうだね?をしてもらいたがって、でも本当のことは言えないんだっていう態度で、自分でも本当のことはわからないまま思い込んでるだけの気持ちを人に表明しながら、前に進むでもなく後ろに下がるでもなく、ただただ腐りながら生きていくのかな。


もっと嫌なのは、こんなのみんなが思ってるだろう普通のことなのに、こうやって自分だけが矛盾を抱えて苦しんでるみたいにしてるところで、みんなはそういうこと本当は思っていても何にもないようにふるまえていて、それは本当にすごいことなのに、自分にはそれができなくて、苦しんで泣いて、自分だけが、って特別みたいにして、構ってほしいよって他者に頼って欲望を無造作に投げつけながら、いつかくれなくなってしまうような優しさはいらないとかわけわからない態度をとりながら、そのくせなんの価値もないただの人間でしかないってところだ。ただのごみ屑だ。

 


泣いてしまいそうだ、全部捨ててしまいたい、自殺したい、死んでしまいたいよ。そのくせ死ぬのはこわいとかいう。とんでもないやつだよ。

この文章だって自分を守るために書いて、他人に見せて、自分のこと知ってもらって満足して、それによって人を傷つけるんだね、え、どうするのこれ?生きているだけで人を巻き込んで最低な、最低な自慰行為だ。

 

以上

 

これを表明してしまうことがすでにここに書いてあることにもう1度自分を投げ込むことで、それは新しい契機になってまた自分を変形させて、新しく人を傷つけて、それでまた自分は傷ついたようなふりで人と関わってさらに人を傷つけて、自己言及と再帰を繰り返して何度も何度も、一生出られない。

 

 

*1:ただし結婚制度によって発生している諸々は大変めんどくさいと思っている。名字がかわる、手続きがいろいろ必要、人に報告するなど。あとごはんつくるのは今のところそんなに好きじゃない。白米と味噌汁があればいいし適当に食べたい白目

*2:ちなみにここでは本筋から外れるので注にとばすけれど、別の問題というのもあって、頼り方や甘え方というのがわからない。自分でやっちゃった方がはやいなあという思考と言葉にして思っていることを伝えることが苦手であまり改善の努力もしてこなかったせいで、そのへんがわからん。適度な、というところもわからん。どちらかといえば自分はやりすぎる。不健康だ